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ネパールの子どもたちへのインタビュー
第二回

ネパール子どもインタビュー第2回は、ライジング・ロータス在校生のSanju Praja(サンジュ・プラジャ)さんに話を聞きました!

17歳のサンジュは今、ネパールの義務教育の最終学年である10年生です。

サンジュはネパール南部、インドとの国境沿いにあるチトワン郡カンダ村で生まれました。カンダ村はもともと移動農耕を行っていたチェパン族の集落で、麓から山道を歩いて1日かかる山奥にあります。

ライジング・ロータス施設長のハリさんは、初めてカンダ村を訪れた時、そこに住んでいる人々のあまりの貧しさに泣きそうになりました。山奥深くの集落には、掘っ立て小屋に住み、ぼろぼろの服をまとい、森から取ってきた野草を食べて暮らす人達がいました。ハリさんは、この村の子ども5人をカトマンズにある養護施設で預かることを決め、村人に最も大変な状況にある子どもを5人選ぶように頼みました。その選ばれた子どもの一人が、サンジュでした。

村には食べ物も服もなかった

カンダ村にいた頃、サンジュは父母、兄2人、妹3人、兄嫁とその子ども2人の合計11人で暮らしていました。父母は農民で、森を焼いて畑を作る焼畑をしながら、トウモロコシ、ひえ、野菜などを育てていました。焼畑だけでは食べ物が足りず、森の野草を取って食べたり、森に食料探しに行っていたそうです。ネパール人の主食である米は、年に1度、ダサイン祭の時に食べるだけでした。

6歳になり学校に通い始めましたが、小学校までは歩いて1時間かかりました。ひどい山道で、一人で学校まで行くのはとても大変でした。そのため、学校に行けるのは週1~2日だけ。制服は、学校でくれた1着だけを持っていました。学校に行かない日は、家の牛やヤギを追いながら森に行っていたそうです。学校に行ってもそこで習ったのは、学校の名前と、ネパール語で「私の名前は〇〇です」ということくらいだったとか・・・。

写真左:森から採ってきた野草 写真中央:一着のみの制服を着続ける子ども達 写真右:家の手伝いをする子ども

9歳の時、初めて外の世界へ

9歳の時に、サンジュはライジング・ロータスに入ることになり、首都カトマンズに行くことになりました。彼女はそれまで市場に行ったこともなければ、車を見たこともありませんでした。一度も山奥の村から出たことが無かったのです。初めて外の世界を見て、とてもびっくりしたそうです。村の先生に連れられてカトマンズに行くために初めて乗ったバスでは、車酔いして何度も吐いてしまいました(泣)。

本当の人生が始まった!

施設に着いてみると、食べ物はあるし衣類も住居も整っていて、とても嬉しかったそうです。嬉しくて、村のことは忘れ、父母のことも忘れるほどでした。実は施設に来る前、彼女はライマヤ(Rai Maya)と呼ばれていました。これは親があだ名のようにつけて呼んでいた名前だったので、ふさわしくないということで、彼女を施設まで連れてきた村の学校の先生が「サンジュ」と名付けました。

ライジング・ロータスに来て、サンジュの本当の人生が始まりました。

写真左:カンダ村から来たばかりの子ども5人  写真中央:施設に来たばかりのサンジュ(9歳)  写真右:現在のサンジュ(17歳)

最も変わったことは?

施設に来るまで、サンジュは部族の言葉であるチェパン語しか話せませんでした。ネパール語は聞けばなんとなくわかるけど、話すことはできなかったそうです。だから、来たばかりの頃は、ドアを開けてと言われて、ドアを閉めたりしていたとか(笑)。施設に来て、ネパール語が話せるようになったのは大きな変化でした。

名前が変わり、ネパール語を話せるようになり、また毎日ちゃんと顔を洗うようになったので顔も変わったそうです。村では顔も服も洗っていなかったのが、生活習慣もすっかり変わりました。

今はどんな毎日?

朝、起きてから自習をして、10時から4時までオンライン授業を受けています(1月下旬現在)。Zoomを使って先生から授業を受けていますが、友達の顔も見えて話すこともできるし、先生から質問もあります。一日中パソコンの前に座っているのは苦ではないそうです、

サンジュは小さい頃から理科が好きで、今はコンピューターの授業が一番好きです。

趣味はダンス、歌、絵を書くこと、物語を書くこと等々。ダンスは、最初は出来なかったけど、施設に来てから友達と遊びながら覚えました。なかなか上手いですね!

施設での一番の思い出は?

施設で8年間を過ごした中で一番、心に残っているのは、ハリさんや寄付者がいて、勉強をさせてくれたことです。また、様々な訪問客やCheFuKoが訪問した際に、一緒に踊ったりビデオを取ったり、運動会や体力測定をしたことも忘れられないそうです。2019年4月に行った運動会と体力測定の様子はぜひYouTubeでご覧ください。

辛かったことは?と聞いたところ、ない!と答えました。両親のことは思い出さなかったのかを聞くと、施設では必要なものは全て与えられているから、大丈夫だったそうです。

ネパールではコロナ禍で昨年2020年4月から9月上旬までロックダウンをしていました。学校が休校だったので、その間、サンジュは故郷のカンダ村に戻っていました。久しぶりに親と一緒に住みながら何をしていたのかを尋ねると、理科の本を持って帰っていたのでそれを読んだり、森でヤギを放牧していたそうです。村にはインターネットを使える環境がないため、オンライン授業は受けられません。そのため、施設長のハリさんは、学校は休校の状態でしたがコロナが落ち着いてきた12月末に高学年の生徒たちから順番に施設に呼び戻しました。

将来の夢は?

彼女の夢は、今はとにかく勉強をして、コンピューターの分野で先生になり、子どもたちや大人たちに教えることです。また、日本語を習って日本にも行くのも夢の一つです。

施設に滞在できるのは義務教育の期間、つまり10年生までです。卒業後について尋ねると、10年生修了後に進む後期中等学校(テンプラス・トゥーと呼ばれる)で学びたいそうです。しかし、カンダ村に戻ったら彼女が勉強するチャンスは全くありません。そのため施設長のハリさんは、彼女が施設卒業後もカトマンズで学べるように支援することを考えています。

サンジュはカンダ村で、公立学校ではなくボーディング・スクール(英語で教育をする私立学校)で勉強をしてSEE(中等教育修了試験)を受ける最初の子どもになります。村の期待の星ですね!今年の6~7月にSEEを受けますが、それまではコロナの影響で休校だった分の勉強を取り戻すように勉強をしていくそうです。

施設にいられるのも残り数か月。施設での仲間との時間を楽しみつつ、将来の夢に向かって進んでいけるように、CheFuKo一同応援しています!

ネパール里親プロジェクトは、様々な家庭の事情で学校へ通うことができない子どもたちが安心して勉強を続けられるように応援するプロジェクトです。詳しくは、こちらをご覧ください。

―「ネパールの子どもたちへのインタビュー」担当より
*次回のインタビュー記事投稿は5月頃を予定